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少年は荒野をめざす

少年は荒野をめざす (1)
吉野 朔実
集英社 (2003/01)
売り上げランキング: 174325
おすすめ度の平均: 5.0
5 優しい記憶の風合い。
5 永遠の荒野
4 時間をおいて読み返すと新たな発見がありました。



普段は、漫画の感想はこちらに書かないのだが、(nowaに書くことにしている)どうしてもこちらに書いておかなければならない気がしたので、こんな時間(早朝 5:26)に、こうしてディスプレイに向かっていたりするわけだ。

この作品は、初見ではない。一度買っているし、(引っ越しの時うっぱらってしまったようだ)最初に読んだのは友達の本棚だったりする。
その時も衝撃を受けたと思うが、今、再読していて(といっても読了していない。文庫版は4冊にまとめられているが、2冊までよんだところであったり)その時の記憶以上に、何か感じるところがあったようなのだ。

吉野朔実の作品は、これ以外にも読んでいるし、それらももちろん好みではある。
でも、たぶん、この作品だけが僕にとっては特別なのだと思う。

僕は、この本を最初に読んだ頃(20代前半)漠然と創作で飯が食えたらいいなと思っていた。
多分、中学ぐらいからずっと考えていたことで、文章でも、絵でも、どちらでもかまわなかったが、何かを吐き出したいという衝動にとらわれ続けていて、この衝動がなくなるということは考えられなかった。
で、短絡的にそれで飯が食えたらいいなと思っていたわけだ。

今、ほとんどそういう衝動がないからこそ、むしろ客観的に振り返ることができるのだが、その頃は人間関係にしても、自分の存在意義みたいなものに対しても、異常なまでに飢えていて。そういう環境や自分の状態を自分の気持ちの中で消化するために、何かを表現したいと感じていたのだと思う。
その夢というか希望は、結局のところ挫折したというか、転向したというか…。
そのころそういう言葉はなかったが、ニートみたいな、フリーターみたいなことをして、大学も通わずぶらぶらやっていたわけなのだけど、なんか都合よくいろいろ事が進んで、商業デザインのイロハを教えてもらったり、仕事をもらったり、ウェブサイトつくるようになったり、それで雇ってもらって、まぁ今に至ると…。
今は何屋さんなのか、わからない状態になっていて、それもどうかと思いはするのだが、まぁ、そういうこともあったという話。

商業デザインも創作も、表現することと使う道具立てという意味では同じだと思っている。
ただ、誰のために?という点において異なる。
顔の見えない不特定多数なのか、個人的なつながりの中の誰かなのか。
極端な話としては、自分のために書く(描く)というのが、最も創作的な態度かもしれない。
そういった意味では、当然中間段階というものが考えられるだろう。
非常に商業作品的な創作もあれば、創作的な商業デザインもあり、それは作品のクオリティや形式とはあまり関係がない。

実際、デザイン初心者が陥りやすい罠(かつて、自分自身落ちていたわけだが)がある。
誰のために?というのが抜け落ちてしまう、あるいは、自分自身だけになってしまう、ということ。
想定する「誰」に「どう見せたい」のかが抜け落ちると、いくらクオリティが高かろうが、商業デザインとしてはイケテイナイものになるわけだ。

話を戻そう。
そういった意味で、20代の僕は誰より自分のために何か表現したいと感じていたのだけど、その後の身の回りの変化とかのために、あるいは別のところで欲求が満たされてしまったために、表現への衝動を徐々に失っていったのだ。

で、だ。
この作品を読んでいて、なんかそいうの思い出しちゃったりしたのだな。
それから、あり得ないと思ったのだけど。
いや、未練があったのは間違いないので、どっかにくすぶっていたとは思われるのだが、そういう「自分のために」表現したいという欲望をかき立てられてしまったことに対して、びっくりしたのだ。

これは、書いておかなきゃと思った。

一旦、気が済んだので、煙草でも吸ってから、もう一度寝るとする w

内容についての、あれこれは、こちらもちょっと書きたいことがあるので、後で書く。



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